イエメンについて

令和6年7月7日

イエメン共和国(Republic of Yemen)

YEMEN Map

1- イエメン概要

イエメン共和国は、アラビア半島の南西端、紅海とインド洋を結ぶバーブ・ル・マンデブ海峡を望む要衝に位置する国で、その面積は55.5万平方キロメートル(日本の約1.5倍弱)です。

国土は北部の山岳地帯(温帯)と南部及び南東部の砂漠地帯(熱帯及び亜熱帯)の二つに大別され、首都サヌアは2,300mの高地にあります。首都近郊にはアラビア半島一高い標高3,660mを誇るナビ・シュワイブ山がそびえ立っています。
北部山岳地帯は、年に2回訪れる雨期のため、砂漠の拡がるアラビア半島内の他の地域と比べるとひときわ濃い緑に被われており古来より農耕が盛んであったので、古くは「緑のアラビア」と呼ばれていました。何世代にもわたって受け継がれてきた見事な段々畑が方々にみられ、その中でもイエメン中部のイッブ地方は特に濃い緑で覆われています。また、南東部の砂漠は、サハラ砂漠と並んで世界で最も乾燥した地域として有名なサウジアラビアのルブ・アル・ハリ砂漠に繋がっています。

1.人口

イエメンの人口は約3,370万人です。

2.首都及び主要都市紹介

Suntemple

(1)サヌア市(イエメン首都、2005年現在人口約180万人)

「ノアの箱船」伝説で有名なノアの第一息子「セム」が現在のサヌア市に町を作ったのが、この地に人類が定住し始めた起源と言い伝えられています。伝説によれば、サヌアの東に聳えるヌクム山(標高2900m)の頂上にノアの箱舟が着き、ノアの息子であるセム(セム族の祖先)がこの町を開いた、あるいはセムの曾孫であるカハタン(聖書におけるヨクタン、南方アラブの祖先)の第6子であるアザルがこの町を開いたと言われており、サヌアの古い名前は「アザル」であったと言われています。

史実としてサヌアの都市名が現れるのは西暦3世紀頃で、紀元前2000年には存在していたとされている有名なシバ王国(その首都マアリブはサヌアの東180kmの砂漠に位置する)の重要な軍事都市として記述され、その名は古代南アラビア語で「堅固な要塞」を意味するものであるとされています。サヌアは東西に伸びる山岳地帯の間の平坦部に位置し、古来東西貿易の要衝でした。またシバ王国の首都であったマアリブと並んで、イスラム以前の南アラビアにおける宗教的な聖地としての役割を担った都市としても知られています。

sana'a

ユネスコの世界遺産に登録されている旧市街の入口であるイエメン門(バーブ・ル・ヤマン)を一歩くぐった途端、数百年の時の流れを遡ったかの様な錯覚に襲われるでしょう。目の前に繰り広げられるのは、中世以来殆ど変わることなく受け継がれてきた人々の営みであり、それが今日に至るまでその精彩を失っていないことに驚かずにいられません。旧市街は長い間、その建物の独創的な美しさで、観光客のみならず、作家や詩人、建築家や芸術家たちを魅了し続けてきました。

旧市街の殆どの建物が6,7階建ての石造りの伝統的なイエメン建築であり、窓は白い漆喰で縁取られ、その上には半円形のカマリーヤ(ステンドグラス)が美しく配されています。多くの建物は300~400年以上前のままの状態で残っており、また多数のモスクとミナレット(尖塔)、公衆浴場等があります。銀細工や香辛料、布、穀物、ジャンビーヤ(イエメン人男性が腰に持つ半月刀)やカートを売るスークが混在するこの旧市街全体が、1984年ユネスコの世界遺産に登録されました。

(2)アデン(サヌア市より南へ約360キロ)

Aden arab sea

アデンは旧南イエメンの首都でアデン州の州都です。イエメン第二の都市(人口約50万人)で、政府によって経済都市として位置づけられています。その歴史は古く、東アジア・東南アジアからインド洋と紅海を経由して地中海世界に通じる東西交易路の中継基地として繁栄しました。インド洋と紅海とでは潮流・海底の状況・風向き等の自然条件が異なり船舶の種類や航行方法を変える必要がありました。そのため、アデン港にて荷の積み替えを行わなければならず、アデンが中継基地として繁栄したのです。アデンは東西の珍奇な品々、及び日常品が集積する場所であったので、時の支配者は同地を掌中に収め、それら物品に関税を課すことによって巨額の収益を得ていました。

1838年よりアデンはイギリスの保護領になりました。当時、イギリスは、ヨーロッパとアジアの植民地とを行き来する船舶のための水や燃料を補給する基地を探しており、アデンは、そのための最適な地理的条件を備えていたからです。1869年にはスエズ運河が開通し、ヨーロッパとアジアを結ぶ紅海の出入り口を占めたアデンはこの後、補給・中継港として益々隆盛していきました。船舶の燃料が石炭から石油に移行するのに併せて、英国は1919年にアデンに給油施設を完成させ、また1954年には大英帝国領内最大の精油所をリトル・アデンに建設し、アデンは最盛期を迎えました。しかしこのアデンの繁栄は長くは続きませんでした。1967年には第三次中東戦争の影響でスエズ運河が閉鎖され、アデンへ入港する船舶は減少し、1967年11月にはイギリスのアデン統治が終了し、アデンを中心とした南イエメンは「社会主義国家」へと変貌していくのです。1994年の南北内戦後、アデン・フリーゾーン(自由貿易港)計画が着工され、1999年3月にその一部(コンテナ・ターミナル)が完成し、アデンは再び港町としての賑わいを取り戻すことが期待されています。

(3)ホデイダ(サヌア市より西へ約220キロ)

Mosque

ホデイダは紅海沿岸の街で、漁業と農業で有名です。イエメンの中央を走る山脈から流れ出る水は幾筋ものワディ(ホデイダ州の有名なワディとして北からワディ・マルワ、ワディ・ホデイダ、ワディ・ザビード)となってティハーマ(紅海沿岸の平原)の農耕地を潤します。また、ホデイダ港は紅海沿岸の交易を担う一大国際交易港であり、1960年代に港湾都市として急速な発展を遂げました。ホデイダは漁獲物水揚げ港としても有名です。また、ホデイダ州には世界遺産都市として登録されているザビードがあります。ザビードは中世期には学術活動でアラブ・イスラム世界にその名を馳せた都市であり、6-13世紀にティハーマを中心に広く南イエメンを領有したラスール朝の諸君主の庇護を受け、盛時には東アフリカやインド西海岸地域などから約5千人もの学生がこの地で勉学に励んでいました。しかしながら、2000年に「危機に瀕する世界遺産」として登録され、その保存が至急の課題となっています。

(4)タイズ(サヌアの南256キロ)

タイズ市は、サヌア、アデンと並んでイエメンを代表する大都市、商業都市として有名です。イエメンを占領・支配した初めての外国人(クルド人)王朝のアイユーブ朝(1173-1229)が、1175年にここを首都とし、以後、現在までイエメンの主要都市としての地位を維持しています。 街全体がサブル山肌に這うように展開しているため、坂の多い街並みになっています。街のほぼ中央にある、二つの白亜のミナレットを持つアシュラフィーヤ・モスクは14世紀に建造されたものであり、イエメンの代表的なモスクの一つとして数えられています。

(5)イッブ(サヌアの南193キロ)

イエメンの中で最も降雨量の多いイッブは、5月末から9月初旬にかけて平均1500ミリもの雨量があり、「緑のイエメン」といわれるほど草木が豊かな地域です。イッブ州にあるジブラは、11世紀後半スレイヒ王朝の女王が首都をおいた場所として知られ、アルワ・モスクやアルワ女王が住んだとされる宮殿の跡が見られます。

(6)ハドラマウト地方(セイユーンはサヌアから東へ約550キロ)

Hadramot

ハドラマウト地方は、中世以来インド洋交易で栄えたシバーム、セイユーンなどの町があり、交易のためアジアに出かけハドラマウト人がイスラム教を普及させたと言われています。16世紀から1967年に南イエメンが独立するまでカティーリーとカアイティーの二つのスルタン王国がこの地方を二分していました。シバームは8世紀頃から5~8階建ての石と土のレンガで造られた建物が密集した町で、世界最古の摩天楼の町、砂漠のマンハッタンなどと呼ばれ1982年にはユネスコの世界遺産に指定されています。セイユーンの町にはカティーリー王国のスルタン王宮が博物館として残されています。

(7)ソコトラ島(イエメン南岸から約300キロ)

Dragon Blood Tree

ソコトラ島は、アラビア半島から約300キロの沖合にあるインド洋上の島です。 隔絶された自然環境のため、島には稀少な動植物が数多く存在し、赤い樹液が出る竜血樹や、くねくねとした形のボトムツリーなど、個性豊かな形状の樹木が山肌のあちらこちらに見られます。

Qalansya Beach

2008年にユネスコの世界遺産として登録されました。 古代から貿易の中継地点として、アラブ人、インド人、ギリシャ人などの商船が寄港し栄えた歴史がありますが、航路が衰退した現在は農業が中心であり、牧畜として山羊が島内のほぼ全域で放牧されています。

3.民族

大多数のイエメン人は民族的にはアラブ人です。旧北イエメンの部族は、バキール、ハーシェドの二大部族に分類されます。その他、ティハーマ及びアデン地方にはエチオピア、ソマリアから来たアフリカ系の人々やインド西海岸地方からきたインド系の人々も少なくありません。なお、かつて交易が盛んであったころに移り住んだインド、パキスタン、インドネシア等アジア人の血を受け継いだ人も相当数います。

4.言語

公用語はアラビア語です。書き言葉、ニュースや新聞の言葉としては正則アラビア語が使われ、日常的には口語アラビア語(イエメン方言)が話されています。近年は英語勉強熱が高まり、英語の学習者が増加しています。

5.宗教

人口のほぼ100%がイスラム教徒です。北部部族にはシーア派のザイド派が多く、南部にはスンニ派のシャーフィイー派が多いです。そのほか、ユダヤ教を信じるイエメン人が300名程度います。

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2- 政治体制・内政

1.政体、元首

政体は共和制。元首はラシャード・ムハンマド・アル・アリーミー大統領指導評議会議長(2022年4月7日から現職)です。

2.議会

(1)一院制で、議員数は301名、任期は6年です。直近に選挙が行われたのは2004年ですが、その後、選挙制度を巡る与野党間の対立や2011年のイエメン危機の発生を受けて新しい選挙が実施出来ない状況が続いています。
(2)このほかに111名の議員からなる任命制の諮問評議会がありますが、立法権はありません。

3.政府

2024年2月5日、大統領指導評議会議長令によって、ビン・ムバーラク内閣が成立しました。

4.内政の現状

  • 主な動き
    2011年 2月~ 若者を中心にサーレハ大統領退陣を要求するデモが首都サヌア等各地で頻発。
    3月 サヌアにてデモ参加者50人以上が狙撃され死亡する事件が発生。
    4月 湾岸協力理事会(GCC)が、サーレハ大統領はハーディ副大統領に大統領権限を移譲する代わりに訴追を免除されるとするGCCイニシアティブを提案。
    5月 サヌアにて大統領派国軍部隊と大統領から離反した部族の間で大規模な武力衝突が発生。
    6月 大統領宮殿内で大統領暗殺未遂事件が発生。負傷した大統領は治療のためサウジアラビアに出国。
    9月 サーレハ大統領が突然帰国。対立が再燃し、衝突が再発。
    10月 GCCイニシアティブへの署名を大統領に促す安保理決議が全会一致で採択。
    11月 サーレハ大統領がGCCイニシアティブに署名し、退陣に同意。同時に同イニシアティブ実施メカニズム(政権移行プロセスの実施工程表)に与野党代表が署名した。
    12月 2011年野党推薦のバシンドワ元外相を首相とする挙国一致内閣が発足。
    2012年 1月 サーレハ大統領らに対する訴追免除法が成立。
    2月 大統領選挙が概ね平和裡に実施され、与野党統一候補であるハーディ副大統領が新大統領に選出。
    2013年 3月 国民各層からの幅広い参加(反政府勢力であるホーシー派や南部運動(ヒラーク)の一部も参加)を得て新憲法の骨格を協議する国民対話が開始。
    2014年 1月 国民対話終了。中央集権制から連邦制への移行等が合意された。
    2月 全土を6州(北部4州と南部2州)に再編することを決定。
    3月 新憲法案を起草する憲法起草委員会が発足(2015年3月までに新憲法国民投票を予定。)
    8月 シーア派系勢力ホーシー派の呼びかけに応じ、燃料補助金廃止の撤廃及び内閣総辞職を求める反政府デモが発生。
    9月 イエメン政府軍・治安部隊とホーシー派がサヌア市で衝突。ホーシー派がサヌア市の政府機関・国軍関連施設を一時占拠。諸政党は、「平和・国民パートナーシップ合意」に署名し、停戦及び新内閣発足等に合意した。
    11月 新内閣が発足。
    2015年 1月 憲法起草委員会が新憲法草案をハーディ大統領に提出。ホーシー派と大統領警護隊が衝突。ハーディ大統領及びバハーハ内閣が辞表を提出。
    2月 ホーシー派が現憲法を一部無効化し、革命最高評議会が実権を握るとする「憲法宣言」を発表。国連事務総長特使の仲介により政治勢力間の協議開始。ハーディ大統領がサヌアからアデンに移動。
    3月以降 3月、ハーディ大統領が、アデンを暫定首都にすることを宣言。ホーシー派が、タイズ、アデン等に進出。サウジアラビア軍他による「決意の嵐作戦」と称する軍事作戦が3月26日~4月21日に実施され、7月、イエメン政府軍はアデンを奪還。9月、イエメン政府はアデンでの業務を再開。12月、ジュネーブにおいて2回目の和平協議が開催された。
    2016年 4~8月 クウェートで和平協議が開催。
    2018年 6月 サウジ主導のアラブ連合軍がホデイダ奪還作戦(「黄金の勝利」)を開始。
    9月 グリフィス国連事務総長特使が、ジュネーブでの和平協議を呼びかけるも、ホーシー派代表団が出席せず不成立。
    12月 2年4か月ぶりに紛争当事者間協議(於スウェーデン)が国連仲介の下で開催され、両当事者がホデイダ停戦、同市・港などからの撤退、被拘束者交換等に合意(ストックホルム合意)。
    2019年 11月 イエメン政府と南部移行評議会が、サウジアラビア政府の仲介により、リヤド合意に署名。
    2020年 12月 リヤド合意に基づき新内閣が成立。
    2022年 4月 国連の仲介により、紛争当事者が2か月間の停戦に合意(6年ぶりにイエメン全土での停戦が実現)。 大統領指導評議会の設立を含む政府の改革実施(ハーディ大統領は、アリ・ムフシン副大統領の解任、8名から成る大統領指導評議会の新設、同評議会への全ての大統領権限の移譲等に関する大統領令を発表)。
    6月 国連の仲介により、紛争当事者が2か月間の停戦延長に合意。
    8月 国連の仲介により、紛争当事者が2か月間の停戦延長に合意。
    10月 停戦合意失効するも、その後も事実上の停戦が継続。
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3- 外交・国防

外交基本方針

1.  サウジアラビアを中心としたGCC諸国との関係が外交の基軸です。

2. 主要ドナー諸国(日、米、英、独、EU等)との関係を重視しています。

4- 経済

  1. 主要産業(2012年/IMF統計)
    石油・ガス(原油生産量:約53,000バレル/日、天然ガス生産量約1億立法メートル/日(2022年Energy Institute統計)、農業、漁業
  2. 一人当たりGNI
    650米ドル(2022年/IMF統計)
  3. 予算(イエメン財務省、会計年度は1月から12月)
    (1)歳入 約2.2兆イエメン・リアル
    (2)歳出 約3.1兆イエメン・リアル
  4. 外貨準備高
    12.5億米ドル(2022年/世銀)
  5. 総貿易額
    (1)輸出(FOB)  9.03億米ドル(2022年/WTO推計)
    (2)輸入(CIF) 53.12億米ドル(2022年/WTO推計)
  6. 主要貿易品目
    (1)輸出 石油、食料品(コーヒー豆、魚介類)
    (2)輸入 食料品(小麦等)、軽油・ディーゼル、燃料油、機械類
  7. 主要貿易相手国
    (1)輸出 エジプト、トルコ、オマーン、スーダン、エリトリア
    (2)輸入 アラブ首長国連邦、中国、サウジアラビア、オマーン、トルコ 
  8. 通貨
    イエメン・リアル(YR)