イエメンについて

イエメン共和国(Republic of Yemen)

YEMEN Map

1- イエメン概要

イエメン共和国は、アラビア半島の南西端、紅海とインド洋を結ぶバーブ・ル・マンデブ海峡を望む要衝に位置する国で、その面積は55.5万平方キロメートル(日本の約1.5倍弱)です。

国土は北部の山岳地帯(温帯)と南部及び南東部の砂漠地帯(熱帯及び亜熱帯)の二つに大別され、首都サヌアは2,300mの高地にあります。首都近郊にはアラビア半島一高い標高3,660mを誇るナビ・シュワイブ山がそびえ立っています。
北部山岳地帯は、年に2回訪れる雨期のため、砂漠の拡がるアラビア半島内の他の地域と比べるとひときわ濃い緑に被われており古来より農耕が盛んであったので、古くは「緑のアラビア」と呼ばれていました。何世代にもわたって受け継がれてきた見事な段々畑が方々にみられ、その中でもイエメン中部のイッブ地方は特に濃い緑で覆われています。また、南東部の砂漠は、サハラ砂漠と並んで世界で最も乾燥した地域として有名なサウジアラビアのルブ・アル・ハリ砂漠に繋がっています。

1.人口

イエメンの人口は約2,500万人(日本の約5分の1)で、人口増加率は、約3%(1994年から2004年の平均)です。24歳以下の人口が全人口の65%を占めています。

2.首都及び主要都市紹介

Suntemple

(1)サヌア市(イエメン首都、2005年現在人口約180万人)

「ノアの箱船」伝説で有名なノアの第一息子「セム」が現在のサヌア市に町を作ったのが、この地に人類が定住し始めた起源と言い伝えられています。伝説によれば、サヌアの東に聳えるヌクム山(標高2900m)の頂上にノアの箱舟が着き、ノアの息子であるセム(セム族の祖先)がこの町を開いた、あるいはセムの曾孫であるカハタン(聖書におけるヨクタン、南方アラブの祖先)の第6子であるアザルがこの町を開いたと言われており、サヌアの古い名前は「アザル」であったと言われています。

史実としてサヌアの都市名が現れるのは西暦3世紀頃で、紀元前2000年には存在していたとされている有名なシバ王国(その首都マアリブはサヌアの東180kmの砂漠に位置する)の重要な軍事都市として記述され、その名は古代南アラビア語で「堅固な要塞」を意味するものであるとされています。サヌアは東西に伸びる山岳地帯の間の平坦部に位置し、古来東西貿易の要衝でした。またシバ王国の首都であったマアリブと並んで、イスラム以前の南アラビアにおける宗教的な聖地としての役割を担った都市としても知られています。

sana'a

ユネスコの世界遺産に登録されている旧市街の入口であるイエメン門(バーブ・ル・ヤマン)を一歩くぐった途端、数百年の時の流れを遡ったかの様な錯覚に襲われるでしょう。目の前に繰り広げられるのは、中世以来殆ど変わることなく受け継がれてきた人々の営みであり、それが今日に至るまでその精彩を失っていないことに驚かずにいられません。旧市街は長い間、その建物の独創的な美しさで、観光客のみならず、作家や詩人、建築家や芸術家たちを魅了し続けてきました。

旧市街の殆どの建物が6,7階建ての石造りの伝統的なイエメン建築であり、窓は白い漆喰で縁取られ、その上には半円形のカマリーヤ(ステンドグラス)が美しく配されています。多くの建物は300~400年以上前のままの状態で残っており、また多数のモスクとミナレット(尖塔)、公衆浴場等があります。銀細工や香辛料、布、穀物、ジャンビーヤ(イエメン人男性が腰に持つ半月刀)やカートを売るスークが混在するこの旧市街全体が、1984年ユネスコの世界遺産に登録されました。

(2)アデン(サヌア市より南へ約360キロ)

Aden arab sea

アデンは旧南イエメンの首都でアデン州の州都です。イエメン第二の都市(人口約50万人)で、政府によって経済都市として位置づけられています。その歴史は古く、東アジア・東南アジアからインド洋と紅海を経由して地中海世界に通じる東西交易路の中継基地として繁栄しました。インド洋と紅海とでは潮流・海底の状況・風向き等の自然条件が異なり船舶の種類や航行方法を変える必要がありました。そのため、アデン港にて荷の積み替えを行わなければならず、アデンが中継基地として繁栄したのです。アデンは東西の珍奇な品々、及び日常品が集積する場所であったので、時の支配者は同地を掌中に収め、それら物品に関税を課すことによって巨額の収益を得ていました。

1838年よりアデンはイギリスの保護領になりました。当時、イギリスは、ヨーロッパとアジアの植民地とを行き来する船舶のための水や燃料を補給する基地を探しており、アデンは、そのための最適な地理的条件を備えていたからです。1869年にはスエズ運河が開通し、ヨーロッパとアジアを結ぶ紅海の出入り口を占めたアデンはこの後、補給・中継港として益々隆盛していきました。船舶の燃料が石炭から石油に移行するのに併せて、英国は1919年にアデンに給油施設を完成させ、また1954年には大英帝国領内最大の精油所をリトル・アデンに建設し、アデンは最盛期を迎えました。しかしこのアデンの繁栄は長くは続きませんでした。1967年には第三次中東戦争の影響でスエズ運河が閉鎖され、アデンへ入港する船舶は減少し、1967年11月にはイギリスのアデン統治が終了し、アデンを中心とした南イエメンは「社会主義国家」へと変貌していくのです。1994年の南北内戦後、アデン・フリーゾーン(自由貿易港)計画が着工され、1999年3月にその一部(コンテナ・ターミナル)が完成し、アデンは再び港町としての賑わいを取り戻すことが期待されています。

(3)ホデイダ(サヌア市より西へ約220キロ)

Mosque

ホデイダは紅海沿岸の街で、漁業と農業で有名です。イエメンの中央を走る山脈から流れ出る水は幾筋ものワディ(ホデイダ州の有名なワディとして北からワディ・マルワ、ワディ・ホデイダ、ワディ・ザビード)となってティハーマ(紅海沿岸の平原)の農耕地を潤します。また、ホデイダ港は紅海沿岸の交易を担う一大国際交易港であり、1960年代に港湾都市として急速な発展を遂げました。ホデイダは漁獲物水揚げ港としても有名です。また、ホデイダ州には世界遺産都市として登録されているザビードがあります。ザビードは中世期には学術活動でアラブ・イスラム世界にその名を馳せた都市であり、6-13世紀にティハーマを中心に広く南イエメンを領有したラスール朝の諸君主の庇護を受け、盛時には東アフリカやインド西海岸地域などから約5千人もの学生がこの地で勉学に励んでいました。しかしながら、2000年に「危機に瀕する世界遺産」として登録され、その保存が至急の課題となっています。

(4)タイズ(サヌアの南256キロ)

タイズ市は、サヌア、アデンと並んでイエメンを代表する大都市、商業都市として有名です。イエメンを占領・支配した初めての外国人(クルド人)王朝のアイユーブ朝(1173-1229)が、1175年にここを首都とし、以後、現在までイエメンの主要都市としての地位を維持しています。 街全体がサブル山肌に這うように展開しているため、坂の多い街並みになっています。街のほぼ中央にある、二つの白亜のミナレットを持つアシュラフィーヤ・モスクは14世紀に建造されたものであり、イエメンの代表的なモスクの一つとして数えられています。

(5)イッブ(サヌアの南193キロ)

イエメンの中で最も降雨量の多いイッブは、5月末から9月初旬にかけて平均1500ミリもの雨量があり、「緑のイエメン」といわれるほど草木が豊かな地域です。イッブ州にあるジブラは、11世紀後半スレイヒ王朝の女王が首都をおいた場所として知られ、アルワ・モスクやアルワ女王が住んだとされる宮殿の跡が見られます。

(6)ハドラマウト地方(セイユーンはサヌアから東へ約550キロ)

Hadramot

ハドラマウト地方は、中世以来インド洋交易で栄えたシバーム、セイユーンなどの町があり、交易のためアジアに出かけハドラマウト人がイスラム教を普及させたと言われています。16世紀から1967年に南イエメンが独立するまでカティーリーとカアイティーの二つのスルタン王国がこの地方を二分していました。シバームは8世紀頃から5~8階建ての石と土のレンガで造られた建物が密集した町で、世界最古の摩天楼の町、砂漠のマンハッタンなどと呼ばれ1982年にはユネスコの世界遺産に指定されています。セイユーンの町にはカティーリー王国のスルタン王宮が博物館として残されています。

(7)ソコトラ島(イエメン南岸から約300キロ)

Dragon Blood Tree

ソコトラ島は、アラビア半島から約300キロの沖合にあるインド洋上の島です。 隔絶された自然環境のため、島には稀少な動植物が数多く存在し、赤い樹液が出る竜血樹や、くねくねとした形のボトムツリーなど、個性豊かな形状の樹木が山肌のあちらこちらに見られます。

Qalansya Beach

2008年にユネスコの世界遺産として登録されました。 古代から貿易の中継地点として、アラブ人、インド人、ギリシャ人などの商船が寄港し栄えた歴史がありますが、航路が衰退した現在は農業が中心であり、牧畜として山羊が島内のほぼ全域で放牧されています。

3.民族

大多数のイエメン人は民族的にはアラブ人です。旧北イエメンの部族は、バキール、ハーシェドの二大部族に分類されます。その他、ティハーマ及びアデン地方にはエチオピア、ソマリアから来たアフリカ系の人々やインド西海岸地方からきたインド系の人々も少なくありません。なお、かつて交易が盛んであったころに移り住んだインド、パキスタン、インドネシア等アジア人の血を受け継いだ人も相当数います。

4.言語

公用語はアラビア語です。書き言葉、ニュースや新聞の言葉としては正則アラビア語が使われ、日常的には口語アラビア語(イエメン方言)が話されています。近年は英語勉強熱が高まり、英語の学習者が増加しています。

5.宗教

人口のほぼ100%がイスラム教徒です。北部部族にはシーア派のザイド派が多く、南部にはスンニ派のシャーフィイー派が多いです。そのほか、ユダヤ教を信じるイエメン人が300名程度います。

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2- 政治体制・内政

1.政体、元首

政体は共和制。2011年1月、1978年から長期政権を維持してきたサーレハ大統領(当時)を支持する陣営と同大統領の退陣を求める陣営が全面的に対立するイエメン危機が発生し、約10か月間に及ぶ両陣営間の対立が繰り返されました。同年11月に至って、近隣湾岸諸国(GCC)による仲介案を両陣営が受入れ、対立に終止符が打たれることになりました。GCC仲介案に基づきサーレハ大統領が退陣、2012年2月21日の大統領選挙を経て、2月25日、同選挙で圧倒的な支持(支持率は99.8%)を得たハーディー新大統領が就任しました(任期は2014年2月まで)。

2.議会

(1)一院制で、議員数は301名、任期は6年です。直近に選挙が行われたのは2004年ですが、その後、選挙制度を巡る与野党間の対立や2011年のイエメン危機の発生を受けて新しい選挙が実施出来ない状況が続いています。次回の選挙は、GCC仲介案に基づいて2014年2月に実施される予定です。
(2)このほかに111名の議員からなる任命制の諮問評議会がありますが、立法権はありません。

3.政府

GCC仲介案に基づき、2011年12月7日に新しくバシンドワ内閣が成立しました。閣僚リストはこちら

4.内政の現状

  • (1)ハーディー新政権は、国際社会の支援を受けつつ、GCC仲介案に基づき、2年後の政権移行に向けて諸課題に取り組んでいます。イエメンが近代市民国家として再生できるよう、イエメンの政体や選挙制度といった国家の枠組みの再編、不安定要素となっているサアダ州のホーシー派の問題や南部分離運動等の解決、失業や貧困をはじめとする経済問題などについて、幅広い国民層が話し合う国民対話が近く開始されることが期待されています。この国民対話の結果に基づいて、2013年9月までに新しい憲法草案が策定され、新しい憲法草案に対する国民投票を実施の上、2014年2月には新しい憲法に基づく大統領及び国会選挙が行われる予定です。
  • (2)イエメンは最貧国の一つですが、2011年のイエメン危機によって経済状況は更に悪化しました。国連は、2011年のイエメンの貧困層の割合が2009年の43%から54.4%に上昇、2012年3月段階で食糧不足に陥っているイエメン国民が1,000万人に到達したと発表しています。また、イエメン政府は、15歳から24歳までの若年労働者層の失業率が52.9%、25歳から59歳までの労働人口の44.4%が失業に直面していると発表しています。国際社会は、イエメンの安全と安定は地域及び国際社会の安全と安定にとっても重要であるとの認識の下、積極的なイエメン支援を行っており、2012年9月にサウジアラビアの首都リヤドで開催された会合及び米国ニューヨークで開催された会合において、総額79億米ドルの支援が表明されました。この国際社会からの支援がイエメンの復興と経済開発につながっていくことが期待されます。
  • (3)2011年のイエメン危機に伴う治安の空白化を突いてアラビア半島のアル・カーイダ(以下、AQAP)がイエメン南部のアビヤン州を中心として勢力を拡大し、一部の都市を占領支配する事態が発生しました。ハーディー大統領は、2012年2月の就任以降、本格的なAQAP掃討作戦を開始し、同年6月、AQAPをイエメン南部の主要都市から駆逐することに成功しました。しかしながら、AQAPは周辺の山岳部等に潜伏し続け、イエメン国軍及び治安部隊を標的とした自爆テロ等を実行したり、国内の石油及び天然ガスのパイプラインを爆破したり、外国人を誘拐したりしています。2012年5月21日にサヌア市内で治安部隊を狙った自爆テロで100名が死亡する事件が発生しました。同年3月13日に誘拐されたスイス人女性、同年3月28日に誘拐されたサウジアラビア人外交官の身柄は11月の現時点に至るまで解放されていません。
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3- 外交・国防

外交基本方針

    • (1)アラブ・イスラム世界との連携及び米国、英国及び日本をはじめとする友好諸国との協力関係を強化しながら、特にサウジアラビアをはじめとするGCC諸国との更なる協力関係の強化につとめています。
    • (2)民主化等の政治・行政改革、国際通貨基金・世界銀行主導による財政・構造調整改革、テロ対策への一層の努力を求める声に前向きに応える姿勢を示しつつ、イエメンとして国際社会からの支援を必要としていることを訴えています。
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4- 経済

  1. 主要産業(2012年/IMF統計)
    石油・ガス(GDPの9%、石油・ガス:輸出の87%、歳入の60%)、農業(GDPの19.5%)
  2. 一人当たりGNI
    1,300米ドル(2011年/IMF統計)
  3. 予算(IMF資料、会計年度は1月から12月)
    (1)歳入 約22億リヤル(2012年/推定)
    (2)歳出 約27億リヤル(2012年/推定)
  4. 外貨準備高
    55億米ドル(2012年末推定/IMF資料)
  5. 対外債務の対GDP比
    14%(2012年/IMF資料)
  6. 総貿易額
    (1)輸出(FOB) 79億米ドル(2012年推定/IMF資料)
    (2)輸入(CIF) 98億米ドル(2012年推定/IMF資料)
  7. 主要貿易品目(2012年/IMF資料)
    (1)輸出 石油、天然ガス、灯油、燃料油、魚介類
    (2)輸入 軽油・ディーゼル、燃料油、小麦、砂糖
  8. 主要貿易相手国
    (1)輸出 中国、インド 、タイ(日本は第4位)(2007-2011年平均/IMF資料)
    (2)輸入 アラブ首長国連邦、サウジ、スイス (日本は第15位)
  9. 通貨
    イエメン・リアル(YR)
  10. 為替レート
    1$=215イエメン・リアル(2013年9月現在)